差別心や嫌悪感を生み出す〈行動免疫システム〉とは何か?生物学の知見で「差別」に対抗する。
コロナ禍で増大したアジア系差別
「中国ウイルス!」。アメリカのトランプ大統領が2020年9月の国連総会で新型コロナウイルスをこのように呼び、感染拡大の責任は中国にあると強く非難しました。このような、新型コロナ感染拡大はアジア人の責任という認識が広まることにより、アジア系に対する差別が世界的に発生しました。実際、各地でアジア系に対する憎悪犯罪(ヘイトクライム)が増加したという調査結果が得られています。
カリフォルニア州立大学の憎悪・過激主義研究センターの調査結果によると、アメリカの主要21都市において、2021年のアジア系に対する犯罪が前年比で223.7%増加しました(注1)。犯行の種類としては、路上でいきなり殴るという通り魔的なものが多くありましたが、銃社会のアメリカらしい凄惨な事件も発生しています。2021年3月、ジョージア州アトランタ周辺の3軒のマッサージ店でアジア系6人を含む計8人が銃撃され死亡しました。容疑者として逮捕されたのは白人の青年でした。
疫病、戦争、災害など人々が深刻な事態に陥ったとき、露骨な差別が発生することは人類の歴史で繰り返されてきたことです。ヒトについて深い理解を得ようとするならば、差別は無視できない重要なテーマでしょう。これまでも様々な分野で差別についての研究が行われてきましたが、今日では進化の観点に基づいた研究も盛んになっています。今回はそうした研究のいくつかをご紹介しながら、差別について考えていきたいと思います。
行動免疫システムと外国人嫌悪
ヒトも含めて、動物は病原体に対する免疫システムを備えています。白血球や抗体の働きが有名です。シャラーは、動物には行動レベルでも免疫となる機能が備わっていると考え、「行動免疫システム」という概念を提唱しました(注2)。行動免疫システムには検出と反応の二つの段階があります。検出は、おもに嗅覚や視覚によって感染リスク(感染の兆候)を見つけ出すことであり、反応は、嫌悪感が生じて感染リスクから遠ざかる行動のことです。排泄物、腐敗した物、死体などに対してヒトが嫌悪感を抱き、これらを避けようとするのは行動免疫システムの反応の例です。こうした行動免疫システムは、生存に有利であるため進化の過程で獲得されたものと考えられます。
行動免疫システムを含めて、検出システム(センサシステム)には偽陽性の問題がつきものです。偽陽性とは、実際には安全なものを誤って危険なものと判別してしまうエラーのことです。免疫システムの場合、偽陰性(危険なものを安全なものと判別してしまうエラー)は文字通り命取りとなるため、極力回避する必要があります。しかしながら、偽陽性は当人にとってはそれほど大きな問題となりません。安全なものを危険なものと判別して遠ざけたところで大きなリスクはないからです。しかしながら、このような、偽陽性を生み出しやすいという行動免疫システムの性質は、社会的には深刻な問題を引き起こしかねません。外国人や病気の患者を見境なく誰でも排除するという差別的行動につながるからです。実際に、感染症を恐れている人ほど外国人に対して強い嫌悪を示すという研究結果があります(注3)。また、妊娠初期の女性(病原体への抵抗力が弱まっている)は外国人を忌避する傾向があるという報告もあります(注4)。
ヒトの進化の過程で獲得された行動免疫システムが、感染症対策としての外国人嫌悪を伴うものであるならば、実際に感染症が流行し、感染の兆候が周辺にありふれた状況においては、外国人嫌悪が特に強まることが予想されます。今回のコロナ禍では、そうした予想がまさに現実になったと言えるでしょう。
内集団ひいき
一般にヒトは、自分と同じ集団(内集団)のメンバーには好意的になり、自分の所属しない集団(外集団)のメンバーにはしばしば敵対的になります。この現象は内集団ひいき、あるいは内集団バイアスと呼ばれています。例えば、実験用に集められた参加者をその場で特に意味のない基準(絵の好みなど)により二つの集団に分けたというだけでも、ヒトは外集団メンバーよりも内集団メンバーに対して、より多くの報酬を分配しようとすることが確認されています。
このような内集団ひいきは、おもに社会心理学の分野で研究されてきましたが、近年はそこに進化の観点を導入した研究が盛んになっています。進化の観点から内集団ひいきを説明する仮説を紹介しましょう。この仮説は、内集団ひいきを行う個体は、その行動を見ていた他の内集団メンバーから良い評判を得ることを通じて、集団内で有利な立場を確保でき、結果として、適応度(生存率と繁殖率)が高くなるというもので、「閉ざされた一般互酬仮説」と呼ばれています(注5)。仲間を助けるという社会規範を守っているかどうかを内集団メンバーが互いに見ている状況では、自分が見られていることに敏感な個体は積極的に内集団ひいきを行うだろうと予想されます。「情けは人の為ならず」という諺で表されるように、情けをかけた結果は他者からの評価というかたちで自分に帰ってきます。その場では直接的な見返りがないにもかかわらず善行をするのは、巡り巡って後に見返りを期待できるからだ、というわけです。ヒトを対象とした進化の研究において、評判に基づいた間接的な互恵性は、社会を成立させるうえで重要な役割を担うものとして重要視されています。
内集団ひいきを行う個体に、外集団メンバーを特に冷遇しているという意識はなかったとしても、内集団メンバーと外集団メンバーとの間で現実に待遇に格差があるのであれば、外集団メンバーは自分が差別されていると感じても不思議ではないでしょう。内集団メンバーが外集団メンバーを積極的に攻撃したわけではなくても、内集団ひいきは結果として、集団間に葛藤や対立を生み出すことになりそうです。
自然主義の誤謬に注意
差別につながりかねない内集団ひいきがいつの時代でもどこの地域でもヒトに一般的に観察されるという事実を述べると、「やはり差別は当たり前で自然なことなんだ。仕方がない。多少の差別はあってもよいのではないか」という反応を示す人がいます。今日ではこうした反応は「自然主義の誤謬」と呼ばれ、特に進化生物学の研究者の間では強く否定されています。
自然主義の誤謬とは、「~である」という説明(事実の記述)から、「~すべきである」という価値観を導き出すという誤りです(注6)。事実を記述するさいに「〜の状態が自然である」という表現を用いることはよくあります。しかしながら「自然である」と「自然だからそうすべきである」との間には必然的な結びつきはありません。「~である」という事実から「~すべきである」という価値を導くことはできません。「なぜ差別が起こるのか?」という問いを立てて、差別発生の要因やメカニズムを説明することは、「差別をすべき」と主張することとはまったく別です。差別発生の要因やメカニズムを説明することは、差別を肯定することにも否定することにもなりません。
自然主義の誤謬についてこのような説明を聞かされると、「その通り、事実と価値は別のものだ。何を当たり前のこと言っているのだろう」と思う人もいることでしょう。しかし、実際の会話や議論の場では、自然主義の誤謬をおかしてしまう人はめずらしくありません。ヒトの差別心や攻撃性について遺伝子が関係している可能性を論じる研究に対して、「そんなことを認めてはいけない。差別や暴力が肯定されてしまう」という趣旨の発言をする人はその例です。こうした発言はまさに自然主義の誤謬の典型ですが、インターネットで検索すれば、実例が簡単に見つかります。ヒトの差別心や暴力性についてどのような事実が存在しようとも、そこから差別や暴力を肯定する価値観を導くことはできません。
自然主義の誤謬の実例=優生学による悲劇
自然主義の誤謬と関連の深い思想に優生学があります。これは、遺伝構造を改良して人類の進歩を促進しようという思想で、イギリスの人類学者フランシス・ゴールトンが1883年に提唱したものです。19世紀に自然科学は大きな進歩を遂げました。人類は科学によってこの世界のすべてを解明し、その知見によって自然を管理することが可能となるという見方が広まりました。環境問題に直面する21世紀の私たちからすると、あまりに楽観的に思えますが、当時はそれが一つの先進的な考えだったのです。こうした進歩的な世界観は、自然を計画的に管理することでより良い社会を作り出そうという思想にたどり着きます。優生学はこうした思想を自分たち人類に適用したものです。こうして、人類にとって良かれと考え、善意で優生学に取り組む人たちが出現します。
20世紀になると、多くの国が優生政策を実施しました。優生政策とは結局のところ、優秀な人間の割合を増やすために劣った性質を持つ人間を繁殖させないようにする政策です。その結果、深刻な差別や人権侵害が発生します(注7)。その最たる例が、ナチスによるホロコーストです。しかし、現代の価値観に照らして明らかな人権侵害となる政策を実施していたのはナチスだけではありません。アメリカや日本を含む多くの国も、かつては精神疾患やハンセン病などの患者に対して強制断種(不妊手術)を行っていました。これらの政策は合法でした。こうした、悲劇的ともいえる深刻な差別を生み出した優生政策は、優生学の思想を基盤としていました。人類の進歩と言えば聞こえは良いものの、優生学の思想の実態は、「劣った個体は淘汰たされるのが自然である。自然であるということは、それが正しいということである」というもので、まさに自然主義の誤謬そのものです。現代の価値観では正当化することはできません。
差別は世界的に減少傾向
ヒトの差別心に遺伝子が関係しているとなると、「人間は差別をするのが当たり前なんだ、それはもうどうしようもないことだ、差別は私たちの宿命だ」というように考え、絶望する人が現れそうです。しかし、それには及びません。確かに、前回の連載で紹介した行動遺伝学の研究で示されているように、調査されたヒトの心理や行動のあらゆる性質に遺伝子の影響が確認されていることは事実です。しかし、同時に行動遺伝学は心理や行動に関するあらゆる性質に環境が影響することも明らかにしてきました。これにより、教育や社会制度などの環境を整えることによって、差別を減らすことができるのではないか、という希望が生まれます。
実際に差別は着実に減少しているというデータがあります。アメリカの著名な心理学者であるスティーブン・ピンカーは、著書『21世紀の啓蒙: 理性、科学、ヒューマニズム、進歩』(2019年、草思社)のなかで、人種差別、民族差別、 同性愛差別などの差別全般が世界的には減少傾向であることを示しました。1950年代には世界の半数の国に人種民族差別的な法が存在しましたが、2003年にはそのような法をもつ国は世界の1/5以下となりました。女性参政権のある国は1900年にはニュージーランドだけでしたが、現在では男性に参政権があるすべての国で女性参政権が認められています。同性愛行為を犯罪としない国は、20世紀初頭には世界で10数か国にすぎませんでしたが、2016年には90か国を超えるまでに増加しました。
時代による解放的価値観の変化(推定、世界の文化圏、1960-2006)出典:スティーブン・ピンカー、『21世紀の啓蒙 上: 理性、科学、ヒューマニズム、進歩』(2019年、草思社)、図15-7ピンカーは、こうした事実の提示に加えて、世界的な差別の減少をより客観的に示すデータとして、世界価値観調査における解放価値の値の推移を紹介しています。 解放価値とは、自由と平等を重んじる価値観のことで、その程度を数値化する手法も開発されています(注8)。 1960年から2006年の 調査データに基づいて、解放価値の値を地域別に示したグラフ(上図)から、 すべての地域で解放価値が上昇していることがわかります。 地域間比較では最も値の低いイスラム地域でも、2006年には1960年のヨーロッパ地域を上回る値となっています。
また、こうした解放価値に影響する因子を分析したところ、解放価値に対する有効な予測因子は世界銀行の「知識インデックス」であるという結果が得られました(注9)。世界銀行の知識インデックスとは、教育・情報アクセス・科学技術的生産性・法の支配についての指標です。このことからピンカーは、知識がモラルの向上を導くという啓蒙運動の考え方は正しいと述べています。
差別対策に生物学の観点を
この数十年の間に世界中の人々の遺伝子が大きく変化した可能性はほぼゼロですから、前述の人々の解放価値の変化は環境の影響によるものと推察できます。知識インデックスとして示されたような新たな環境を経験したことにより、人々の価値観が変化したわけです。もっとも、差別がいくら減ったとはいえども、ゼロになったわけではありません。こうした望ましい変化をより一層推進したいと考える人も多いでしょう。病気のメカニズムの解明が、有効な治療法の開発につながることは、皆さん理解していると思います。差別についても同様のことが期待できます。どのような条件下で差別が強まるのかあるいは弱まるのか、そのメカニズムを分析し、予測を行うことは、差別を減少させる方法の開発に役立つはずです。前述のように、差別につながりかねない内集団ひいきや行動免疫システムに進化的な基盤があるのであれば、差別に関する分析や予測に進化の観点を導入することは有効と考えられます。
例えば、差別心を低減させるために有効な働きかけ(与える知識や教育方法)が、個人の資質(含む遺伝子)によって異なる可能性があります。実際に、教育分野では、学習者の適性と教育方法とに交互作用が存在することが以前から知られていて、適性処遇交互作用と呼ばれています。例えば、対人積極性が高い生徒には先生が直接教えることが効果的だが、対人積極性が低い生徒の場合には映像授業方式のほうが効果的であるという研究結果があります(注10)。こうしたことから、あたかも患者個人の体質に応じて治療法を選択するオーダーメイド医療のように、差別心低減を目的とした場合にも個人の資質に応じて有効な方法を選択することが考えられるでしょう。こうした現象は、生物学の分野では遺伝環境相互作用と呼ばれているものに相当します。遺伝環境相互作用とは、同じ環境におかれても個体の遺伝子のタイプによって結果(表現型)が異なることです。その結果は、遺伝のみの作用ではなく、また環境のみの作用でもなく、遺伝と環境の双方の相互作用によるものとしか言いようがありません。遺伝環境相互作用は今日の遺伝学・生態学・進化生物学の一大テーマとなっており、そのパターンやメカニズムについて精力的に研究がなされています。こうした観点からも、差別のような社会課題の解決に生物学が寄与できる可能性が見えてきます。自然主義の誤謬について十分に注意喚起しながら、生物学の知見を有効に活用したいところです。
連載第5回は2023年3月9日公開予定です。
このコラムの著者である小松さん協力のもと、役者の米澤成美さんが作成したコラボ動画も公開中です!
【注釈】
注1:US Big City Hate Crimes Spiked By 39% in 2021, Report Finds https://www.voanews.com/a/us-big-city-hate-crimes-spiked-by-39-in-2021-report-finds-/6571116.html
注2:Schaller, M. (2011). The behavioural immune system and the psychology of human sociality. Philosophical Transactions of the Royal Society of London B. Biological Sciences, 366, 3418‒3426.
注3:Faulkner, J., Schaller, M., Park, J. H., & Duncan, L. A. (2004). Evolved Disease-Avoidance Mechanisms and Contemporary Xenophobic Attitudes. Group Processes & Intergroup Relations, 7, 333-353.
注4:Navarrete, C. D., Fessler, D. M. T., & Eng, S. J. (2007). Elevated ethnocentrism in the first trimester of pregnancy. Evolution and Human Behavior, 28, 60–65.
注5:Yamagishi, T. & Kiyonari, T. (2000). ¬The group as the container of generalized reciprocity. Social Psychology Quarterly, 63, 116–132.
注6:「自然主義の誤謬」は、哲学者のジョージ・E・ムーアが1903年出版の『倫理学原理』のなかで用いた言葉です。自然主義とは、自然は良いものだという考えを意味します。ムーアは、還元不可能な価値を自然主義によって導き出そうとすることは誤りと考え、それを自然主義の誤謬と呼びました。還元不可能な価値は他の概念から導き出すことができないためです。「~すべきである」という価値観は還元不可能な価値の例と考えられます。
注8:Welzel C., Inglehart R., & Kligemann H.-D. (2003). The theory of human development: A cross-cultural analysis. European Journal of Political Research, 42(3), 341–379.
注9:Welzel, C. (2013). Freedom Rising: Human Empowerment and the Quest for Emancipation. Cambridge: Cambridge University Press.
注10:Snow, R. E., Tiffin, J., & Seibert, W. F. (1965). Individual differences and instructional film effects. Journal of Educational Psychology, 56(6), 315–326.
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